そもそも”哲学”とは何者か

紹介

みなさんは”哲学”と聞いて、どのような印象を受けますか?

ここでは、私が”哲学”をどのように考えているかを紹介させていただきます。

哲学とは
 自分の考えを表面化し、自分を理解し、個人の幸福と社会発展につながる基盤

1. “哲学”に対する印象

“哲学”という言葉を聞いて、次のような印象を受けている人もいるかと思います。

  • 実用的でない
  • 人によって答えが異なる
  • 屁理屈をこねる
  • 堅苦しい、難解
  • やっても意味のないもの
  • 結論の出ないうえに時間の浪費etc.

一方で、”哲学”に真剣に取り組んでいる人がいることも事実です。

アリストテレス、プラトン、カント、ハイデガー、ヘーゲル、ニーチェ,フロイト…

数多くの哲学者と呼ばれる人たちは何を求め、”哲学”を行っているのでしょうか。

それでは、”哲学”について考えてみましょう。

2. “哲学” vs “科学”

哲学“と聞いて、まず思い当たることは「本質を追求する」でしょう。

同様に、「物事の本質を知る」学問として”科学“があげられると思います。

本質」を求めるという共通の目的をもった2つですが、”哲学“と”科学“の違いは何でしょうか。

まず、これらの意味について調べてみましょう。

“哲学”
①世界や人生の究極の根本原理を客観的・理性的に追及する学問。とらわれない目で物事を広く深く見るとともに、それを自己自身の問題として究極まで求めようとするもの。(以下略)
自分自身の経験などから作りあげた人生観・世界観。物事に対する基本的な考え方。理念。

コトバンク 精選版 日本国語大辞典より

“科学”
 普遍的真理や法則の発見を目的とし、一定の方法にもとづいて得られた体系的知識。その対象領域によって、自然科学と社会科学とに分類され、また、これらに数学、倫理学を含む形式科学や、哲学、歴史、文学を含む人文科学を加えることもある。狭義には、自然科学をさす。

コトバンク 精選版 日本国語大辞典より

哲学“の主人公は「自分」であり、”科学“の主人公は「事象」です。

つまり、”哲学“は「自分の心」に答えを求め、”科学“は「普遍的なもの」によって仮設を支持していると言えます。

3. “哲学”と”科学”の先にあるもの

哲学“と”科学“の違いは分かりました。

では、続いて、2つの共通点についてもみてみましょう。

哲学“も”科学“も「本質」というものが共通のキーワードです。

では、「本質」とは一体、何でしょうか。

さっそく、調べてみましょう。

“本質”
①その物のもっている本来の、独自の性質。本性。
②哲学で、一時的偶然的に事物に付着するような偶性に対して、当の事象そのものの基本的性質。そのものがなんであるかという問いに対する定義によって表される内容。論理学では、定義を構成する類、種などの普遍を一般的にさす。

コトバンク 精選版 日本国語大辞典より

難しいですね…

簡単にまとめると、「対象となるものを特徴づけるもの」、「それがあれば対象となるものであるといえるもの」となるでしょうか。

つまり、「本質」を求めるとは、その対象を定義するということになります。

しかし、なぜ私たちは「本質」を求め、わざわざその対象を定義しようとするのでしょうか。

哲学“や”科学“で「本質」を追い求めた先には一体、何があるというのでしょうか。

4. 私たちが「本質」を求める理由

私は次のように考えています。

私たちが「本質」を求める理由
 その対象を体系化し、誰でもアクセス(認識・活用)可能な状態にし、自分ではない誰かを豊かにするきっかけを提供するため

もう少し詳しく説明しましょう。

哲学“においても、”科学“においても、その「本質」を知りたい対象が存在しています。

たとえば、「自由とは何か?」ということを考える場合、その対象は「自由」となります。

哲学“を体系化することで生ずるものの一つが「自己啓発本」、”科学“を体系化することで生ずるものは「論文」です。

そして、それらにより、私たちはその対象となっている「本質」にアクセス(認識・活用)することができるのです。


“哲学”の体系化

「自己啓発本」の例は分かりやすいと思います。

たとえば、あなたが人生に対して悩んでいて、気晴らしに本屋に立ち寄りました。
すると、どうしたことでしょう。自動ドアが開くと同時に、輝かしい光があなたを包み込みました。
そう、そこには自分の悩みと合致しているタイトルの本が複数あり、そこには悩みを解決するためのノウハウがあるではないですか。
あなたはハタキを手にする店主を尻目に見ながら、そのノウハウを習得しようと立ち読みするのでした。

よくある日常の一場面だと思います。
この時、あなたは”哲学“が体系化された「自己啓発本」を手に取ることで、本に書かれている対象の本質(たとえば、なぜ仕事の要領が悪いのかとその原因)を認識し、活用(原因に対する解決策の実践)をしようとしています。
そして、本屋は誰でも入ることができます。

おまけ:”哲学”を体系化することはできない
 余談ではありますが、”哲学”を体系化したものの一つが「自己啓発本」であると語っておきながら、厳密に言うと、”哲学”は体系することができないと考えています。
 決して、”哲学”によって体系化されたものには意味がないと言っているわけではありません。
 ”哲学”によって体系化されたものが万人に通用するとは限らないということが言いたいのです。
 ”哲学”の主人公は”自分”です。
 そして、あなたは他の誰でもありません。
 あなたの真似は誰にもできません。
 誰かの”哲学”が自分と合わないことがあるのは当然です。
 なので、「自己啓発本」を買っても変わることができないことを悲しむことはありません。
 ただ、自分と合わなかったと考え、ほかの取り組みを始めましょう。
 幸いなことに、今は誰もが情報発信ができます。
 あなたが求めている情報がどこかにあるかもしれません。
 なくても、その情報を求めている人は必ずいます。
 もしかすると、その情報を発信することがあなたの使命かもしれません。
 身に付けた知識を武器に、”哲学”を続ければ、必ず道は開かれていきます。


“科学”の体系化

論文」が誰でもアクセス(認識・活用)可能というのはイメージがつきづらいと思います。
もちろん、J-StageやGoogle Scholarなどで論文にアクセスはできますが、そうでなくても日常的に私たちは間接的に「論文」にアクセスしているのです。

たとえば、普段何気なく使っている電気を想像してみてください。
電気を生み出している発電の手法や効率は論文としての形はとっていないにせよ、数多くの研究のもとに成り立っていることは想像に難くないでしょう。
私たちは”科学”によって得られた知見により、電気の本質(なぜ、どうして、電気は発生するのか)を認識・理解し、その可能性を活用(どうしたらもっと電気が作れるのか)した結果、技術(発電)が生み出され、確立されます。
たとえ、電気に対して無知だったとしても、それらが集約された技術を活用することで、無意識のうちに私たちは技術を通して、「論文」へとアクセスできているのです。


このように、”哲学”においても、”科学”においても、長い歴史の中で、様々なものを体系化し、誰でもアクセス(認識・活用)可能な状態にすることで、私たちの生活は、人生は、より豊かなものになりました。

自分ではない誰かに豊かさを提供するために、私たちは「本質」を求めているのではないかと思います。

5. “哲学”と”科学”の役割と目的

今回は、”哲学“と”科学“にフォーカスを合わせ、その共通点や相違点を見てきました。

そして、私はそれらの役割と目的を以下の図のように考えました。

6. “哲学”をするということ

哲学する“ということは、その題材を介して、自分の考えを表面化する(自分と向き合う)ことで、自分を理解することです。

そして、哲学で見つけ出した答えを体系化したものを発信すればほかのだれかの哲学を後押しします。

哲学で見つけ出した答え同士または一つの題材について対話すれば、その間に共通認識が生まれ、同じ目標に向かって足並みをそろえることができます。そして、それが大きなコミュニティになればなるほど、社会は一丸となり、発展していきます

しかし、哲学には時間がかかります。近代はグローバル化が進み、複雑化している反面、科学により様々な技術が発展し、それらが集約された機械を活用することで、私たちの生活の質は向上しています。その結果、一つの作業にかかる時間は短縮されているのは、もはや説明の余地はないでしょう。見方によれば、科学哲学をするための時間を提供しており、よりよい社会の発展サポートしていると考えることができます。

そして、大切なことは”哲学する“ということは幸福につながります

しかし、”哲学する”だけでは幸福になれません。自分を理解し、自分を導く行動を起こす必要があります。実践してこそ、はじめて自分として存在できることで、自分ではない誰かに豊かさを提供し、それが幸福につながります。

あなたを必要とする人は必ずいます。そして、恐れは必ずあります。小さなことから少しずつでも始めていきましょう。今日の1ミリは1年後には36.5cmになり、3年後には1mを超えるのです。

7. まとめ

以上の考えにより、私は”哲学”を次のように定義します。

哲学とは
 自分の考えを表面化することで、自分を理解し、個人の幸福と社会発展につながる基盤